K-JUNSHIの道標(みちしるべ)-Buddhism is Compass for Life & English is Spice of Life-

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ようこそ、「K-JUNSHIの道標-Buddhism is Compass for Life & Spice of Life-」へ。仏教は人生という大海に進む私たちにとってのコンパス(羅針盤)であり、英語は世界の共通語として、私たちに日本語だけでは得られない刺激を人生に与えてくれます。そんなコンセプトでこのブログを立ち上げました。hasunoha(お坊さんが答えるQ&Aサービス)への回答を中心に、仏教・思索、そして英語教員として作成した教材やプレゼン等について綴るブログです。(2015/11/07ブログ開設)

岩手県陸前高田市 奇跡の一本松

思索からの道標

 浄土真宗の御本尊は「阿弥陀如来」です。この仏様は、「全ての人をお救いくださるはたらき」、つまり「全ての人を仏様にしてくださるはたらき」を持った仏様です。阿弥陀如来のこのはたらきは、全ての人に対してはたらいておりますので、亡き人の上にもはたらいているので
『(一分間法話)亡き人も南無阿弥陀仏と共に』の画像

盛岡ハートネットという精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指した団体の代表者(岩手日報論説委員 黒田大介さん)からのお誘いで、昨年度、やっと盛岡ハートネットのイベントに参加することが出来ました。(以前も当団体のイベントへのお誘いを受

ネットから仏教の知識を得るときの留意点を紹介しておきましょう。今後の皆様のご参考になればと思います。1.ある仏教関係のサイト(メルマガも含む)があるとき、そのサイトは、そのサイトの管理者の仏教観とも言うべき視点で、仏教が語られていることになります。2.た

前投稿記事に引き続き、五十回忌法要をご縁として書かせて頂いた原稿を、投稿いたします。○●○●○●○●○○●○●○●○●○○●○●○●○●○五十回忌法要に寄せて浄土真宗本願寺派   真行寺住職 亀山 純史  五十回忌が年忌法要の中で一つの大きな区切りになっ

明日、檀家さんの五十回忌の法要があり、それをご縁に、改めて浄土真宗における年忌法要の意義について、Q&A形式でまとめてみました。□■□■□■□■□□■□■□■□■□□■□■□■□■□□■□□■□■□□■□■□■□■□□■□■□■□■□浄土真宗における年忌法要

なぜ、親鸞聖人は「念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。」と仰ったのでしょうか。このことに関しての私見を、ここに書き留めておきたいと思います。******* 「念仏は阿弥陀

宗教の教えの本質には物語性があります。それは教えとは価値観であり、価値観は物語によって表現されるものだからです。そして、教えが持つその物語性によって作られた物語は、教えを静的なものから動的なものにします。そうして、静的なものは抽象的なものですので、私たち

今、私が考えているところの「浄土」について、ここに書き記しておきたいと思います。「浄土」とは「悟りの世界」です。「悟り」とは「この世の有り様(=真実)に目覚めること」です。ここでの「この世の有り様(=真実)」とは、「この世は縁起の法則に基づいており、全て

 「本願と縁起の関係について」(2016/08/30)に加筆しました。(※加筆は枠で囲んである箇所) 「本願」は我々を救わんとする願いであった。そして、その本願は阿弥陀如来成仏によって、成就している願いである。すなわち、我々は既に本願によって救われていることになる。

次のような発言を最近目にした。それは、「東日本大震災は、仏様が明日の私の姿を見せてくださっているということ。」このような見方は、「震災は仏様の慈悲の現れ」ということである。このような発言をする人、及びこのような発言に共感する人は、このような発言を「震災を

(平成29年度報恩講法話より) これは、平成29年10月9日(体育の日)に行った報恩講での法話を基にした原稿です。(ただし、ここに記述した内容を全てお話したわけではありません。) 「教え」とは何か。                                

※この法話について   当寺院は仏教壮年会連盟に登録はしておりませんが、「岩手組仏教壮年会連盟会報 第16号」   において、原稿の依頼があり寄稿させていただいたものです。 今、私の手元に『聖(さとし)の青春』という文庫本があります。これは、天才将棋棋士村山

今年も各地で成人式が行われ、その様子がニュースで報道されました。その報道の中で気付いたことは、東北地方、そして神戸を中心としての関西地方での成人式は荒れない、ということです。つまり、震災による被災地での成人式は荒れない、ということです。このことは、裏を返
『(1分間法話)成人式と震災』の画像

明治時代、ある禅僧が、大学で倫理学を教えている先生方を相手に、次のような問いを投げかけました。  【問い】「川にあなたの母と妻が溺れている。どちらを先に助けるべきか?」 そこである先生は次のように言いました。「キリスト教においては、家庭の基本原理を夫婦に
『(1分間法話)無分別智』の画像

今年(2016年)の1月1日付けの朝日新聞の声の欄に、「幸せは自分のそばにあるはず」というタイトルで、85歳の女性の方からの次のような投稿が掲載されておりました。 私は五十数年住み慣れた東京都内の自宅から老人ホームに移り、3年余り生活させて頂きました。老人ホームで

※この法話は、お通夜の席でお話しさせていただいている内容を整理して活字にしたものです。 お通夜のお勤めに先立ちまして、「法名」についてお話をさせていただきます。  浄土真宗では、「戒名」とは言わず、「法名」と言います。それは、浄土真宗は阿弥陀如来のお力(
『(1分間法話)法名の話』の画像

今日は私の好きな話を紹介します。それは、英国の心理学者リチャード・グレゴリー氏による、次のような興味深い人物の報告です。  1958年12月、S・Bと呼ばれる52歳の男性が英国王立バーミンガム眼科病院に、生後10か月の時に感染症で失われた視力を回復するために入院し

勧修寺村(かじゅうじむら)の道徳(どうとく)、明応二年正月一日に御前へまゐりたるに、蓮如上人(れんにょしょうにん)仰せられ候ふ。道徳はいくつになるぞ、道徳念仏申さるべし。(『蓮如上人御一代記聞書』より)【現代語訳】 勧修寺村の道徳が、明応二年の元日、蓮如上人
『(1分間法話)真宗門徒の初詣について』の画像

今、私の手元には『葬儀のしおり』(浄土真宗本願寺派 大阪教区基幹運動推進委員会)があります。その中で、「年賀欠礼」についてのページがありますので、ご紹介いたします。わが国では、この一年間に身内の方が亡くなった場合、年賀状を出すのを遠慮し、年賀欠礼を出すの
『(1分間法話)年賀欠礼(喪中の葉書)と浄土真宗』の画像

これは、葛巻高校で進路指導を担当していたときに、『進路の手引き』の進路指導部巻頭言として執筆したものです。  「進路」とは字の如く「進む(べき)路」です。「進む」とは「前に出ること」です。闇雲に動いても、果たして「前に出ること」をなしているかわかりませ
『進路達成へのformula』の画像

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