こんにちは。またお世話になります。

自死を考えているに辺り、自分のお墓や法要の不必要を感じていることを遺書でお願いしていくのは私の我が儘でしょうか。
(勿論、私の希望が通るかどうかは分からないとは理解してます)

墓守りの家に生まれ、祖父母はお寺に尽力していました。家業が忙しくてもお寺のお手伝いに行ってしまう祖父。その文句を毎度飽きもせず言い続けていた母。私は祖父が好きだったので苦しかったです。
「神様や仏さまはいないけど、親と先祖は大事にしないといけない」と墓参りにはせっせと連れ出され、地獄絵を見せられては「お前はあそこに行くんだ」と言われていたので、お墓=魑魅魍魎の世界のイメージが取れません。
自分の家の仏壇には手を合わせない(私が手を合わすとおべっか使いと文句を言われる)が、母の生家や母の親戚の仏壇には手を合わすように指示されて、正直、お墓もお仏壇も負担しか感じませんでした。
 
父方の祖父母、母方の祖母はもう鬼籍に入り、3人ともお葬式には行きましたが、その後の法要には行っていません。祖父はギリギリの知らせで旅行と重なり、旅行をキャンセル出来ずに欠席。母方の祖母は母が姉と大喧嘩をし、縁を切った為連絡無し。父方の祖母は子供がいるからと連絡なしでした。
母から逃げてる私はお別れ出来なくて寂しい気持ちはなく、厄介事に巻き込まれずに済んだという想いです。最近の主人の方の法要はうつ病の為、遠慮するようにしております。

こんな私ですので地獄行きも決定ですし、そんな私にお金も時間もかけてもらうのが嫌なのです。
本当は遺骨は海にでも撒いてもらいたい所ですが、それも手間なので、共同墓地の永代供養を頼もうと思っています。

法要も決まり事だからとしてもらうのが申し訳ないし、しんどいだけの行事なので迷惑かけたくないし、思い出してくれる事があれば十分幸せだと思うのです。思い出してもらえなくても全然良いです。主人や子供たちが幸せに生きてくれてたら十分過ぎる供養だと思うのです。
どうしてもお墓や法要は厄介事という想いが取れないのです。

自死するかはおいておいて、お墓法要不要について教えて頂けるとありがたいです。




A. お墓や法要は死と密接な関係にあり、遺された人たちのためにある

こんにちは。亀山純史と申します。
死とお墓や法要は密接な関係がありますから、自死するかしないかはおいておいて、ということではお話しできません。

あなたは、ご主人やお子さんたちが幸せに生きてくれてたら、それで十分過ぎる供養であると考えておられますが、ご主人やお子さんたちの幸せとは何でしょうか。あなたが自死したところに、遺されたご主人やお子さんたちの幸せはそう簡単には見いだされないでしょう。一般的に言って、親族で自死された方をもつ人のほぼ全員が、自死を止めることが出来なかった後悔の念を一生背負って生きていくことになります。

さて、お墓も法要も、遺された人たちのためにあると、私は捉えています。お墓の建立や葬儀等の法要は、遺された人たちの故人への心の拠り所、心の整理のためのものです。人によっては、自分のお墓や自分の葬儀について、生前に遺書として残しておく方もおられます。また、近年は遺骨の扱いも、従来からある先祖代々の墓所への納骨のほかに、永代法要墓のような墓所への納骨、樹木葬や海への散骨もあるようですね。しかし、どのような形での納骨や葬儀であれ、それが本当に遺された人たちのためになっているのかどうか、それをよく考えてみることが非常に大事なことでしょう。

以上が私からの回答になります。ご参考になさっていただければと思います。