申し訳ないのですが、お寺ではなく、神社についてのご相談になります。お坊さんの考えをお聞きしたいです。

私は神社に毎日通っていますが、ちょっと遠い神社には時々通っています。その神社でお参りをしたのですが、自分の悪行の話をするタイミングで社殿の片方の電気が消えたり、昨日は大きい地震が起きたりしました。
昨日はなぜかその神社に行きたくなりました。

これらは何らかのサインなのでしょうか?
歓迎のサイン・・・だとしたら嬉しいのですが・・・




A. 何かのサインであれば、そこに因果の関係がある。

こんにちは。亀山純史と申します。
私からの回答は、当然、僧侶(仏教)としての立場からの回答になります。

さて、ある出来事が何らかのサインであるとき、そこには何かしらの因果関係がなければいけません。仏教では物事の因果関係(縁起の法則)を重要視します。そこで、昨夜の地震を考えてみましょう。あなた自身と昨夜の地震との間に、何かしらの因果関係はありますか?もしも、何かしらの因果関係があるとすれば、あなた一人のことで昨夜の地震は起きた、ということになりますが、どうでしょうか。もしも、自分自身と昨夜の地震の間には、何かしらの因果関係があると思うのであれば、そのような見方は、あなたの傲慢だと私は思います。もし、あなた一人のために、地震が起きたとするならば、なぜ、福島が震源だったのでしょうか。なぜ、あなたのお住まいの地域が震源ではなかったのでしょうか。

ところで、昨夜の地震からあなた自身の人生なり、在り様を、たとえば、「大自然の活動を前にして、私という存在はなんと小さいものか」などと顧みることはあるでしょう。つまり、出来事はあなたに直接かかわるために起こったものでなくても、その出来事を通して、あなた自身が自分を見つめ直すことはありますし、また、そのようなことは、とても大切なことだと思います。

なお、ご相談の中に出てきた社殿の片方の電気が消えたことについてですが、それを何かのサインと取るかどうかは、あなた自身の判断によると思います。もちろん、そこにも因果関係がなければいけません。(私自身は、そのような現象に対して、別段、何かのサインとは取りません。)そして、仮に何かのサインだと考えたとしても、あなたの心は、「そのような現象は、何かのサインかもしれない」という思いに浸るのではなく、あなた自身の内省が第一に大切であることを忘れないでほしいと思います。

以上が私からの回答です。ご参考にしてみてください。