Q. 自分の意思に自信が持てません!

こんにちは

私は昔からどうしても思ったら即行動のタイプの人間でした。その分冷めやすく、少しでも「嫌だ」「無理だ」と思うと打ち込めないこともありました。 
私は中学の時からある夢を追い続け、専門を卒業して夢を叶えました。ですが、そこでの人間関係に精神的に病んでしまい、半年後には退職をしました。 
今はそのことには後悔をしておらず、むしろ転職先に恵まれて仕事を熱心に取り組んでいます。ですが、昔からの癖なのか、転職したばかりの今でさえ将来に対しての何かしらの目標、夢ばかりを追っていて、今の仕事に満足しながらも「この仕事のままじゃ…」「もっと勉強してお金を稼いで…」と感じてしまいます。 
今の仕事は続けて成長したいと思いますが、一生やりたいとは思えません。さらに勉強して資格を取って働く考えも持ってます。最近では、昔から気になっていた別の仕事に二、三年後に挑戦するため、通信で大卒資格をとろうかという考えが浮かんでいます。 
今回もまた昔の突っ走る性格が出ているんじゃないかと不安です。ですが、あまり将来がどうなってしまうのかとか本当にやりたい事なのかとか、迷い過ぎていても良くないのではとも思います。 
今現在自分の意思が分からない時、自信が持てない時、どうしたらいいのでしょうか。 
また、焦らずじっくり目の前の今に向き合える考え方などもあれば教えていただきたいです


A. 機が熟すことによって人生を歩めたかどうか

はじめまして。亀山純史と申します。 
様々なことに挑戦したいという気持ち、エネルギーは素晴らしいことですね。しかし、やりたいことが多ければ、当然、多くの決断をしていかなければなりません。そして、時には「究極の選択」とでも言うべき決断を、あなた自身、迫られることもあるでしょう。 
さて、そのような様々な決断をしていかなければならない時、「今現在自分の意思が分からない」または「自信が持てない」と感じているならば、私は、「まだ機は熟していない」と判断するでしょう。 
お釈迦さまの出家に関してのお話をご存知でしょうか。お釈迦さまがまだ太子の時に、都の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりに見て、出家を決意したと言われています。(これを「四門出遊(しもんしゅつゆう)」と言います。もしかしたら、学校で習ったかもしれませんね。)つまり、四方の門から見えた人生の真実を見ることで、出家を決意なされたのです。ここで大切なことは、四番目の修行者との出会いのみで出家を決意したわけではないということです。老人、病人、そして死者を見てきたからこそ、そこに機は熟し、最後の修行者との出会いで、お釈迦さまの身体の中に熱いエネルギーが生じ、自ら出家者としての人生を歩むことになったのです。 
人生が自分にとって納得のいくものになるかどうかの一つには、「機が熟すことによって人生を歩めたかどうか」という点が挙げられるのではないかと思います。 
以上が私からの回答です。ご参考になさってみてください。